【画像】ビートたけしの若い頃がイケメン!昔の写真まとめ!経歴を交えて紹介
お笑い芸人で、歌手や俳優、監督もこなす“ビートたけし”さん。
若い頃がとてもイケメンだったと話題になっているとか。
今回はそんな“ビートたけしの若い頃”について画像と一緒に紹介します。
【画像】ビートたけしの若い頃がイケメン!
1980年の漫才ブームで活躍し、日本の“お笑いBIG3”とも言われるビートたけしさん。
現在では“イケおじ”や“理想の上司”と言われたりします。
そんなビートたけしさんの若い頃がイケメンと話題になっているとか。
- ツービート結成 (1970年代)
- 漫才ブーム (1980年)
- 漫才ブームが終わりタレント“ビートたけし”として活動
【ビートたけし】ツービート結成(1970年代)
ビートたけしさんは1972年頃、浅草フランス座コメディアンとしてコントの下積み修行をしていました。
25歳頃のビートたけしさんがこちらです。
そこで、のちの“ビートきよし”さんとなる“兼子二郎(かねこ にろう)”さんと出会いコンビを組むことに。
その後、松鶴家二郎・次郎というコンビ名でスタートしたのですが注目されず、“空たかし・きよし”にコンビ名が変化したとか。
改名に次ぐ改名でもコンビは注目されず、コンビ名を“ツービート”へと変更。
- コンビ名の変化を確認する
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松鶴家二郎・次郎
↓
空たかし・きよし
↓
ツービート
コンビ名だけでなく、漫才も次第に変化していき、シンプルで間を減らしたテンポの速い高速漫才へと変化。
それまでの下ネタはもちろん、差別用語から、放送禁止用語まで取り入れ評判を呼びました。
また、ビートたけしさんは、1980年(33歳)で女性漫才師の松田幹子(まつだ
みきこ)さんと結婚しています。
【ビートたけし】漫才ブーム(1980年)
1979年頃より1981年頃にかけて漫才ブームと呼ばれる社会現象がおこりました。
ビートたけしさんは、毒舌を交えた標語ネタが「毒ガス標語」と言われ、ブーム初期の定番ネタに。
- 注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子
- 少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け。
- 寝る前にちゃんと絞めよう親の首
- 気をつけよう、ブスが痴漢を待っている
- 赤信号みんなで渡れば怖くない
たけしの代表的ギャグとして知られる「コマネチ!」のギャグが生まれたのもこの時期です。
【ビートたけし】タレント“ビートたけし”として活動
1982年頃に、漫才ブームが終わりタレント“ビートたけし”として単独で司会をする番組を多く持つようになりました。
35歳頃のビートたけしさんがこちらです。
1985年当時のビートたけしさんのレギュラー番組が、20時台番組ですべて最高視聴率をマークしたとか。
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!! (1985年~)
- ビートたけしのスポーツ大将 (1985年~)
- 痛快なりゆき番組 風雲!たけし城 (1986年~)
そんなビートたけしのもとに、弟子入り志願者が集まり“たけし軍団”が結成されたのもこの頃で、一時期には弟子が100人以上いたとか。
そしてビートたけしさんは、1988年ごろから“タモリ”さんや“明石家さんま”さんと共に、「日本のお笑いタレントBIG3」と呼ばれるように。
その後1989年に、ビートたけしさん初の映画監督作品「その男、凶暴につき」が公開されました。
撮影でビートたけしさんは、テレビの仕事と両立させなくてはならなかったことから、1週間おきの撮影だったそうです。
まとめ
今回は“ビートたけしの若い頃”について紹介しました。
ビートたけしさんの、今後の活躍にも期待したいですね。