【画像30枚】石原裕次郎の若い頃のイケメン写真まとめ!昔の作品を交えて紹介
誰もが知っている昭和のスーパースターといえば“石原裕次郎”さん
日本人離れした、すらりと高い身長などのルックス的な魅力に加え、堂々とした演技で、あっという間にスーパースターへ。
今回は、そんな“石原裕次郎の若い頃”について紹介します。
【画像】石原裕次郎の若い頃の写真まとめ!
俳優、歌手として、昭和を代表する大スター、石原裕次郎さん。
亡くなられてから長年経った現在でも、石原裕次郎さんの活躍は語り継がれています。
- 映画『太陽の季節』で石原裕次郎がデビュー(1956年)
- 主演デビューは映画『狂った果実』(1956年)
- 映画『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』が軒並みヒット(1957年)
- 石原裕次郎が北原三枝(きたはらみえ)と結婚(1960年)
【1956年】映画『太陽の季節』で石原裕次郎がデビュー
石原裕次郎さんは、1956年の映画『太陽の季節』で俳優デビューしました。
石原裕次郎さんはもともと、この映画で若者言葉やヨットの指導を担当。
しかし、プロデューサーが、石原裕次郎さんを俳優として起用することを決めたんだとか。
ここでの演技が好評で、次の映画『狂った果実』にも起用され、人気俳優として大きく飛躍していきます。
【1956年】主演デビューは映画『狂った果実』
石原裕次郎さんの次に出演した作品は映画『狂った果実』です。
さらに、この作品では自身初となる主演をつとめ、主題歌「狂った果実」とともにレコードデビューもしています。
【1957年】映画『俺は待ってるぜ』『嵐を呼ぶ男』が軒並みヒット
1957年には、石原裕次郎さん主演の映画『俺は待ってるぜ』と『嵐を呼ぶ男』が軒並みヒット。
石原裕次郎さんの人気は絶頂期といわれています。
【画像】映画『俺は待ってるぜ』(1957年)
映画『俺は待ってるぜ』の主題歌も石原裕次郎さんが歌っていました。
その主題歌“俺は待ってるぜ”も映画と同様に大ヒットし、LPレコードが160万枚売れたんだとか。
【画像】映画『嵐を呼ぶ男』(1957年)
また、映画『嵐を呼ぶ男』も主題歌共に大ヒットとなりました。
さらに1958年(当時24歳)には、プール付きの豪邸を建てています。
【画像】映画『世界を賭ける恋』(1959年)
映画『世界を賭ける恋』では日本映画初となる北欧スウェーデンでのロケをされています。
【1960年】石原裕次郎が北原三枝(きたはらみえ)と結婚
石原裕次郎さんは、1960年に北原三枝さん(後の石原まき子)と結婚されました。
しかし、石原裕次郎さんの結婚に当時の所属事務所“日活”は反対だったんだとか。
そこで、石原裕次郎さんは、交際を認めない日活への抗議の意味も込めて、北原三枝さんとアメリカへ婚前旅行をしていました。
結婚後も人気は衰えず、『あじさいの歌』、『闘牛に賭ける男』など出演作品の興業成績は好調を維持していました。
【画像】映画『あじさいの歌』(1960年)
【画像】映画『闘牛に賭ける男』(1960年)
映画『闘牛に賭ける男』が、石原裕次郎さんと北原三枝さんとの共演が最後の作品となりました。
まとめ
今回は“石原裕次郎の若い頃”について紹介しました。
石原裕次郎さんの魅力あふれる映画はまだまだあります。
隠れた名作をさがすのもいいのではないでしょうか。